「……だがね。あの本を読み進めていく中で、ひゐろさんが浮かんだのは確かだよ。主人公は友人・が亡くなって以降、つきあっていた女性・お玉さんを訪ねていく。主人公は友人に悪いなという気持ちと、話をしたい気持ちで揺れ動いている。読んでいくうちに、お玉さんがひゐろさんのように感じられて、無性に会いたくなった」
斎藤は側に横たわるひゐろの首筋に、口づけをした。
ーーー「無性に会いたくなった」
斎藤が初めて口にした、気持ちの吐露だった。
心と身体が重なる悦びを、ひゐろは初めて噛み締めた。瘦面botox
「私もあの本を読みながら、胸が高鳴ってしまいました。私も主人公の姿を、斎藤さんに重ねていました」
ひゐろは、斎藤に身を寄せた。
「でもあの主人公は、周囲にいる女性を手当たり次第興味を持つね。その点は、僕とは違うよ」
そう言って斎藤は、再び笑った。
同じ本を読み、お互い同じようなことを感じていたことが、ひゐろにはこの上なくうれしかった。
「主人公の友人・表は、交通事故でなく病で亡くなった。彼は死期を感じていたせいか、主人公にお玉さんを託すような旨を告げる。僕の勝手な解釈かもしれないが、飯田もそんな気持ちであの世にいるのではないだろうか。生きている人間しか、生きている人を救えないものだ。その役を僕が務めていく」この世に生きてる私を救いたい、その役割を担いたいと。
そのようなことを言ってくれる人がいるのだと。
ひゐろの目に涙が溢れ出した。
「こうして斎藤さんと私が暮らしていることを、後ろめたく思わなくてもいいの?」
「いいさ。飯田はきっと喜んでくれていると、信じている。いつかいっしょに、飯田の墓参りに行こう」
「ええ」
斎藤の言葉を聞いてを覚えたせいか、ひゐろはいつの間にか眠ってしまった。
翌朝、ひゐろは銀座に仕事へ出かけた。
口入れ屋に着くと、事務員がひゐろに声をかけた。
「初子さんをご指名で、お客さんが来ている。すぐにお客さんのところへ行ってくれないか」
「わかりました」
お客さんのところへ行くと、後ろ姿の男の足元にスネークウッドのステッキが見えた。
「……原康太郎さん!その節は、ありがとうございました」
ひゐろは原の前に立ち、深々と頭を下げた。
「初子くん。……いや、風倉ひゐろくん、元気かね?」
「おかげさまで元気です」
ひゐろは、笑顔を見せた。
「にあるうちの貸家は、どうかね?」
「非常に快適です。ご紹介してくださって、本当に感謝しております」
「それを聞いて、安心したよ。久しぶりに銀座を訪れたので、ここに立ち寄った。いっしょに昼飯でも食べないか」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」ひゐろは、原の車に乗り込んだ。
「ひゐろさん、寒いから牛鍋でも食べに行きませんか?」
「ぜひ。楽しみにしております」
「店は、浅草にあるんだ。それでは出発しよう」
車は、銀座から八丁堀へ向かった。
「ひゐろさん、今朝の新聞をご覧になったかね?」
「いいえ。朝が早かったので、ゆっくり目を通しておりません」
「朝刊に、ワシントン海軍軍縮条約が結ばれたとあったよ」
「それは、どういう条約なのでしょうか」
「簡単に言えば、米英日の主力艦を五・五・三の割合に保有するということさ。つまり米国は英国と共同して、日本の軍備拡張を抑えることに成功した。そして、日英同盟も廃棄となった。日清・日露戦争で得た、中国への権益に対して、米国がを入れてきた形になる」
「中国で反日運動があったことは、存じ上げています。日本の得た権益に対して、中国はもちろん、欧米も警戒しているということでしょうか」