に天下布武に向けて順調に駒を進められたとしても、姫の境遇はずっと今のまま、
事情を知る者たち以外とは、話すことも、顔を合わすことも出来ず、 ただひたすら、身を隠して生きてゆくことになるのです」
「──」
「少なくとも、私や殿が生きている間は、姫の生活は我らが支えてやることが出来まするが……我らがいなくなったら、姫はどうなりましょう?
誰が姫を生活を支え、守ってやるのでしょう? 誰が、姫の為に必要な物を揃えたり、お付きの者たちにを支払ろうてやるのでしょう?」
信長は伏し目がちに、黙って濃姫の話に耳を傾けている。
「やはり、姫の先々のことを考えますと、あの子の存在を守り続けてくれる、強力な支えが必要にございます」
「…それが、奇妙じゃと申すのか?」
信長は双眼を薄く開き、静かに首肯する妻の面差しを眺めた。脫髮 維他命
「奇妙殿はこの織田家のご嫡男。いずれは殿の後を継いで、織田家の当主となるお方にございます。それに何よりも、
姫と奇妙殿は血の繋がった実の──。姫の行く末をお頼みするのに、奇妙殿ほど相応しいお方はおりませぬ」
「……奇妙に、複雑な姫の事情が理解出来るであろうか?」
「奇妙殿は実に賢き御子にございます。それに十三歳と申せば、物事の分別が出来、ある程度の大人の話にもついて来られる歳にございます」
奇妙ならば大丈夫だと、濃姫は強気に説得にかかる。
「姫の、我らの御子の将来の為にございます。殿、何卒 姫のことを奇妙殿にお話しする旨、お許し下さいませ」
「……」
「どうか──」
濃姫は万感の思いを込めて、夫の膝の前で平身低頭した。
それを黙って見つめる信長の面差しは、悩ましげであり、しかしどこかなだった。
妻の申し出を受け入れようと必死になっている反面、頑固で慎重な地金が、思わず表に出てしまうようである。
それでも信長は、顔を上に向けたり、首を横にたりしながら、何とか己の答えを引き出そうと努めていた。
やがて彼は「…ぅむ」と、唸るような声を喉奥から発すると
「確かに、奇妙が姫の後見となってくれれば、これほど心安いことはなかろうな」
若干の渋々さが滲み出しながら、妻が求めているであろう前向きな返答を口にした。
濃姫は両の手をつかえたまま、静かに顔だけ上げると「ならば、殿…」と、期待を込めての細面を仰いだ。
「まぁ……良いのではないか。兄姉の誰も、己の存在を知らぬとあっては、姫も哀れである故」
それを聞いて濃姫は、瞬時に満面を笑い皺の渦にした。
「寛大なお心をお示し下さり、まことに幸甚至極に存じ奉ります──」
「なれど、奇妙が姫のことをみだりにに話したりせぬよう、くれぐれも気を付けさせよ。母上ではないが、儂もこれ以上の厄介事はご免じゃ」
「承知致しておりまする。その旨は、私から奇妙殿にしかと申し伝えておきます故」
濃姫が嬉しそうに頭を下げると、信長はふいに「おっ」という顔になって
「──そうじゃ、そうじゃ。良い機会である故、明後日の姫の名付けの席に奇妙を招き、二人を引き合わせては如何であろう?」
と、軽く眉をひそめる濃姫に告げた。
「…姫の名付けの席?」
「応よ。長らく待たせてしもうたが、ようよ姫に似合いの名を思い付いた故、明後日、麓の館の姫の御殿で披露しようと思うてのう」
「ま、左様にございましたか」
「実に良き名である故、そなたも気に入ってくれるはずじゃ」
信長があまりにも自信ありげに言うで、濃姫の期待感も自ずと向上した。
「いったい、どのような御名を姫に付けて下されたのです?」